pilot in the cockpit

ストーリー

お客様・スタッフストーリー

1920年にクイーンズランド州のアウトバック地域から始まったカンタス航空の歴史。これまで多くの方がオーストラリア、そして世界中からカンタス航空に関わってくださいました。心温まる物語から歴史的な物語、感動的な物語から驚くべき物語まで、これまで私たちに関わってくださった皆様の物語ひとつひとつが、カンタス航空の""Spirit of Australia”を形作ってきました。

100周年を迎えることができたことを、皆様に心より感謝いたします。カンタス航空の今後の100年の展望をご覧ください。

Matt Dower, QantasLink pilot standing next to a Dash 8 aircraft

物心ついた頃から カンタスの パイロットになることを いつでも夢見ていました

- Matt Dower, QantasLink Pilot

「毎日自転車で通勤するとき、カンタス航空747型機の尾翼の下を通っていました」 - Tom Abbot, Pilot

航空一家に生まれて

家族は、遺伝子、価値観、時にはキャリアさえも次の世代に継承します。トム・アボットにとって、どのような業界で働くかは考えるまでもないことでした。彼は常に、カンタス航空で働きたいと思っていたのです。身内が何人かカンタス航空で働いており、トムは彼らの話をいつも興味深く聞いていました。そんなトムが彼らと同じ道を選んだのは、少しも不思議ではありません。

1960年代、トムのおじがカンタス航空創業者の1人であるハドソン・フィッシュのサポート係として働き始めたことからすべてが始まりました。おじはフィッシュ氏が使う文房具のインクを補充するなどありとあらゆる業務をこなし、その後カンタス航空のフライトスケジューリング部門に異動になりました。

トムの母親も1970年代にカンタス航空の長距離路線の客室乗務員として勤務しており、「家業」に携わっていました。彼女のお気に入りの思い出は、南極上空の低空域を飛行する747型機に乗ったことや、ディック・スミスとテッド・ノフズがホストを務めた南極上空での初の空中結婚式の花嫁介添人を務めたことなどだそうです。

さて、トムの話に戻ります。空を飛ぶことに対する情熱が芽生えたのは、彼が生まれ育ったアーミデールの空港に着陸するカンタス航空のダッシュ8型機を眺めているときでした。彼は飛行訓練を終え、クイーンズランド州ロングリーチでGAチャーターパイロットとして働き始めました。トムは、歴史的に有名なカンタス航空の747型機の尾翼の真下を通って自転車で通勤するのが好きでした。毎日カンタス航空の飛行機を見るだけでも、やる気が沸いてきたからです。現在、トムはアーミデールでダッシュ8型機の機長を務めており、人々が世界を旅するのをサポートできることにやりがいを感じています。

Tom Abbott, Pilot

空高く飛んだ女性、バード

空の自由さに勝るものはありません。女性が活躍できる機会が限られていた時代に、そんなことにはお構いなしに自由を実感できる場所まで高く舞い上がれる職業を選んだ女性がいました。彼女の名はナンシー・バード・ウォルトン。

この先駆的なパイロットは、1933年に18歳で初めてライセンスを取得し、飛行機を購入し、それからニューサウスウェールズ各地を回りました。世界で最も偉大な飛行士チャールズ・キングスフォード・スミスの指導を受けたナンシーは、その勇気と決意をもって、信念を曲げずに夢を追い続けました。

ナンシーは女性としてだけでなく、あらゆる面でパイオニアでした。自ら旅客向け航空会社を経営し、内陸部での救急飛行機サービスを起ち上げ、第二次世界大戦中のボランティア活動において重要な役割を果たした実績の持ち主が他にいるでしょうか。寛大な心を持つ人物として知られたナンシーは、ロイヤル・フライング・ドクター・サービスへの貢献から「内陸部のエンジェル」とも呼ばれていました。

操縦席から飛び降りる彼女を見て驚いた乗客に「まさか女性が!」と何回言われようとも、93歳で天寿を全うするまで、自由自在に空を飛ぶことに対する情熱を持ち続けていました。

この航空業界の偉大な人物にちなんで、カンタス航空のA380型機の初号機はナンシーと命名されています。

- Nancy-Bird Walton, Aviation pioneer

明確なビジョンを持つ退役軍人

真のビジョナリストは、「不可能なことは可能にできる」だけではなく「不可能なことを可能にしなければならない」と考えるものです。1919年にW・ハドソン・フィッシュとポール・マクギネスが、課題達成のためにオーストラリアの内陸部を初めて旅して回ったとき、人々が直面している孤立と苦難を目にし、航空サービスがオーストラリアの遠隔地のコミュニティにとって役に立つであろうと考えました。そのアイデアは当時、実現不可能に見えましたが、2人は実現させることを決心しました。

国防省からフィッシュとマクギネスに依頼された課題とは、クイーンズランド州のロングリーチからノーザンテリトリーのキャサリンまでの航空レースのコースを調査するというものでした。フォード・モデルTに乗って51日間で2,179km以上を走り、その途中に競技参加者のための補給品を置いていきました。

創造力と決断力を持ったこの2人の退役軍人が、オーストラリア内陸部の未舗装のほこりっぽい道路を走っているときに、初めてカンタス航空のアイデアを思いついたのです。

フィッシュは後に「私たちは、クイーンズランド州の西部および北部、そしてオーストラリア北部の、人口が少なく実質的に道路がない地域での郵便物、旅客、貨物の輸送において、航空機がのちに重要な役割を担うことになるであろうと確信しました」と綴っています。

この航空サービスがのちにどれほど重要になるか、そのときのフィッシュには想像もつきませんでした。

- Hudson Fysh, Qantas founder

「決して忘れることのできないクリスマスでした」- Marita Wilkinson

ダーウィンを襲ったハリケーン

オーストラリア全体がホリデームードに包まれる中、ダーウィンは災害に備えていました。1974年のクリスマスの日、サイクロン「トレーシー」の襲来により、ダーウィンは壊滅的な被害を受けました。

カンタス航空の多くの従業員は、助けを求めるダーウィンの人々のために即座に行動を起こしました。マリタ・ウィルキンソンもその1人です。国からの援助要請に応え、マリタは他のチームメンバーと共に、最初の救援便として飛び立った747型機に乗っていました。当時マスコットジェット基地の医学部門の若手看護師だったマリタは、負傷者を手助けし、ダーウィンからの避難を支援しました。

マリタの記憶では、600人以上が乗った機内はすし詰め状態で、座席を共有する乗客もいたとのことです。悲劇的な状況にあっても、マリタや第一対応者の人を思いやる心は、援助を必要とする人々を"Spirit of Australia"がいかに救ったかを示しています。 

- Marita Wilkinson, Former Junior Nurse, Mascot Medical Department

最年少の搭乗客

初めて飛行機に乗ったときの記憶というのは、一生残るものです。しかしローズマリー・アンウィンの場合は、その特別な瞬間をあまりはっきり思い出すことができません。

1936年、ローズマリーはほとんどの人よりも少し早く、空の旅の楽しさに出会いました。母親のジョイス・リチャードソンと兄のエドウィンとともに飛行機に乗った彼女は、まだ生後3か月に満たない赤ちゃんでした。当時、ローズマリーはカンタス航空史上最年少の乗客としてニュースに大きく取り上げられました。

それ以来、ローズマリーは生涯にわたって旅を愛し、「まるでバスに乗るようにカンタス航空に乗る」と言われるまでになりました。

- Rosemary Unwin, Qantas Passenger

夢は叶うということの証明

夢を追い続けていれば、それが現実になることがあります。クリストファー・マルキオーロはそのことを誰よりもよく知っています。クリストファーは、2009年に真新しいA380の機内に足を踏み入れた瞬間から、カンタス航空で働くことを夢見るようになりました。

生まれて初めてヨーロッパに向かっていたクリストファーは、当時わずか13歳。世界を見る機会に胸を躍らせていただけでなく、空を飛ぶという未知の世界の体験に興奮していました。クリストファーがA380と働きたいと決心したのはそのときでした。飛行機がまるで我が家のように思えたのです。搭乗するとき、飛行機の写真を撮りました。「ポール・マクギネス」という名の飛行機をずっと覚えておくために。

9年後、クリスは夢に見ていたカンタス航空の客室乗務員として働き始めました。初めての乗務でドバイ行きのフライトに搭乗した彼は、その飛行機の名前が「ポール・マクギネス」であることに気づきました。何年も前のヨーロッパ旅行のときに搭乗し、夢を持つきっかけとなったあの飛行機です。これはまさに運命と言えるでしょう。

Christopher Marchioro, Qantas cabin crew